ルミナ天地の物語

 

ルミナ創始者の天地隆之です

ルミナ(Lumina)はスピリチュアルな学びを進めるアカデミーであり、様々な能力をアチューンメント(伝授)によって開くセッションを行います。

私はルミナ創始者の天地隆之です。

これまで25年以上に渡ってレイキやルミナによるセッション、セミナーで12000人以上に施術、伝授をしてきました。今も毎日オンライン講座による伝授を行っています。

目標として、ルミナヒーリング、チャネリング、プロフェシー、レイキなどのマスターを1000人育成してこの激動の時代をひとりでも多くの方が豊かに生きるためのサポートをできるようにしていきたいと考えています。

あなた自身も大切な人も癒せるルミナヒーリング
高次元ガイドと繋がってメッセージを受け取れるチャネリング
古より預言者の血統で受け継がれてきた未来予知プロフェシー
日本発祥のレイキの神髄を伝えるクラマレイキ

ルミナヒーリングを習得すると、 エネルギーの流れを確かに感じながらシンボルもマントラも使わずに、大切な人たちやクライアントさんに実感を伴ったヒーリングができるようになります。しかもルミナのエネルギーはレイキは他のヒーリングエネルギーよりも振動数が高いのが特徴です。

クラマレイキを習得すると 第二次世界大戦中に、世界最強と謳われた日本海軍で用いられた、能力の開発や、心身の問題を改善できるようになります。肉体、精神、意識へのアプローチを迷わずに行えるようになります。またクラマレイキならではのエネルギーを感じる為の病腺霊示法や、高次元存在サナトクマラとのコネクションを創る尊天靈授によって、高い波動のエネルギーを扱えるようになります。

チャネリングを習得すると、 高次元ガイドからのメッセージを五感の全てで受け取り、迷える人を導くことが出来るようになります。高次元ガイドとのコンタクトをじっくりチャネリングしようとするときはもちろん、歩きながら、人と会話をしながらでも出来るようになります。

プロフェシーを習得すると これから先に起こることを予知して、最短ルートで願いを叶えたり、災いを避けて安全に確実に、望む未来を創造できるようになります。古代の預言者の血統から受け継がれた聖なる叡智で、これから起こることを未来予知で知ることが出来るようになります。

ここに挙げたルミナヒーリング、チャネリング、プロフェシー、クラマレイキなどのメソッドは、長い時間をかけて習得しなければいけないのではなく、伝授(アチューンメント)を受ければ、誰でもその日から出来るようになるのが特徴です。

もしかするとあなたは
「いやいや、それは天地さんだからできたんでしょ」
とおっしゃるかもしません。

でも、私は決して。。。 生まれつき特別な能力に恵まれて、 豊かな家庭で育てられて、 勉強もスポーツも出来て、 女性にもモテモテで 何不自由なかった、、、 なんてことはまったくなかったのです。

出来たらそんな風に恵まれた環境に生まれたかった、と思ったことは数知れずでした。むしろ、それとはまったく逆の人生した。 いえ、それどころかもっと悲惨な人生を送っていました。

病弱で虐められていた学生時代

ルミナやレイキを活用していて今は元気な私ですが、幼少期から体が丈夫なわけではなく、病気がちでした。夜中に発作を起こしたりして救急車で病院に運ばれたりすることもありました。

母が健康を気遣った料理を作ってくれたり、水泳を習わせてくれたので少しづつ健康になっていきました。ですが、もともとが病弱だったのでスポーツは苦手で友達付き合いも得意ではありませんでした。

幸い小学校時代は友達に恵まれてそれなりに楽しい学校生活を送っていましたが、中学に入るとそれは激変しました。通った中学校はその当時でいうスクールウォーズをそのまま再現したような学校で、窓ガラスは頻繁に割られ、学校近くにはたくさんの改造された単車が止まり、暴力行為が公然と行われていました。

体が細くおとなしかった私は、いじめにあい理不尽なことばかりの学校生活に嫌気がさしていました。勉強も決して得意ではありませんでした。そして何とか進んだ高校生活。敢えて劣悪だった環境の中学校とは離れた場所の高校を受験して、その環境から抜け出しました。

高校生活はこれまでの学生生活の中でも最も充実しました。勉強は苦手なままでしたが、良い環境の学校で友人にも恵まれました。今でも親交のある友人と出会ったのもこの高校でした。その当時の偏差値もお世辞にも高いとは言えませんでしたが、よい先生に恵まれて放課後の個別指導をしてもらったりして、なんとか大学に進学することができました。

大学では軽音楽部に入りバンド活動をしながら、様々な職種のアルバイトをして社会生活の楽しさを知るようになりました。私が起業することを意識したのはこの頃でした。周りには会社勤めから自立して店を構えたり、取得した資格を活かしてステップアップする人もいてとても刺激になったのを覚えています。

起業から倒産、暗黒期へ

そして大学卒業後、私は就職はせずに準備を進めていた起業の道を進むことにしました。大学時代に出来た人脈から必要なものはすべて揃い順風満帆で、まさに意気揚々と毎日を謳歌していました。

売り上げは順調に増え、別な事業にも乗り出しました。そんなある日の事、私は完全に信用していた仲間の裏切りにあい、すべてを失うことになります。失っただけならまだいいのですが、大きな借金が出来てしまい、途方にくれました。

ここで私は知人に紹介された会社で働き始め、新たなビジネス展開をし借金の返済もすることが出来るようになりました。そして結婚して子どもにも恵まれて幸せを取り戻しました。これからは、以前のような無茶はしないで、家族のために地道にこつこつ頑張っていこう、と手にした幸せを噛み締めながら心に誓いました。

ですが、ここでまた問題が起きました。会社が倒産してしまったのです。独り身で起業した時とは違い、家庭があり子どもはまだ1歳。自分が仕事をして稼がなければ、という時にさらに状況は悪化します。離婚してシングルパパになり、生活は一層苦しくなりました。

もちろん精神的にも余裕など全くなく、うつ病にもなって「もう死にたい」と思ったことも数知れず。夜、子どもが寝静まった後で真っ暗な部屋の中で安い酒を飲み、独りで涙を流したことだって何度もありました。もうこのまま自分なんか真っ暗な闇の中に消えてしまえばいいと本気で考えたこともありました。

今日食べるものにも困る時もあり、「それでも子どもだけには」と全財産をはたいてミルクを買った、冷え込みの厳しい冬の夜の事は忘れられません。 まさに人生の暗黒期と呼べるような時間を長く過ごしてきました。

その時に知り合った霊視鑑定をする占い師の先生から、レイキの習得を勧められ半信半疑ながらも伝授を受けました。そしてレイキヒーリングが出来るようになると、先生からクライアントさんを紹介されるようになり、まさにこれが転機となりました。

スピリチュアル世界へ

ここから私のスピリチュアルな学びはどんどん加速していきました。とは言っても、実を言えばはじめは単なる現実逃避に過ぎませんでした。苦しい現実から逃げ出したい一心でスピリチュアルにのめり込んでいったのです。

この当時私はまだルミナを感得しておらず、レイキヒーリングをメインで行っていました。レイキヒーリングをお受けになられたクライアントさんは 「すっきりしたよ」 「とても気持ちよかった」 「願いが叶った!」 とおっしゃってくださり、たくさんの嬉しいお声をいただくようになったのですが、実はここで私にとって「恐怖」以外の何物でもない「あること」がありました。

その為にキリキリと胃が痛くなってしまうこともありました。 このことを周りのヒーラー仲間からは「もっと気楽に考えればいいんじゃない?」と言われたこともありましたが、私にはそれがどうしても納得いきませんでした。

その「恐怖」とは・・・ エネルギーをまったく感じられなくて、「どこがどうなっていたの?エネルギーの状態は?」と聞かれても、まったく分からなかったのです。

この時私はレイキのそれぞれのシンボルのエネルギーの違いも分からなければ、クライアントさんの状態も分かりませんでした。そこで、私は初めで伝授をしてくれた先生に連絡を取って聞いてみました。すると驚いたことに先生もエネルギーの感じ取れないとというではありませんか。

そしてこの問題点をどうしても解決したかった私は別な先生からレイキを学びなおすことにしました。他の西洋レイキはもちろん、開祖である臼井先生のやり方をそのまま受け継いでいる伝統霊気も含まれます。こうして学びを進めるうちに、前に比べてエネルギーの感じ方のコツは分かるようになってきました。

ですが、手の平をクライアントさんにかざして、手の平で病腺と呼ばれる調子を崩している部分を感じる方法では、情報が表面的だと思い、さらに深く感じ取る方法はないものかと模索を始めました。

その時に知人の紹介で知り合ったのが、クラマレイキの二代目総師範という方でした。その先生が本当の意味での私の師と呼べる人でした。クラマレイキという伝統霊気をベースにしてより「深化」させた内容のレイキを学ばせていただくことになりました。

この先生は世界各地を自由に旅しながら、西洋に伝わる神秘主義はもとより、東洋に伝わる仙道や気功などの修行法に精通した方でした。この方から学ぶうちに気感法などがメソッドとして確立していきました。そしてチャネリングなどの新しいメソッドを習得したいと先生に聞いてみました。

実はこの時すでに別なところでチャネリングの伝授を受けたものの、全くチャネリングが出来るようになっていない時だったのです。 はじめは取り合ってくれなかった先生も、私の熱意に押されて協力してくれることになりました。先生もチャネリングが出来たのですがこう言ってくれたのです。

「君の前向きな気持ちと人々に貢献したいという気持ちは分かった。だが君が必要としている学びを進めるためには、私の師から直接学んだ方がいいだろう。実は前々からそれを考えていたんだ。近いうちに紹介しよう。全面的に協力しよう。」とのお言葉をいただきました。

そして師匠が師と仰ぐ方にお会いして直接教えていただけることになりました。この方は古より脈々と伝えられる神秘主義を学び、先祖代々受け継がれてきた預言者としての能力を持ち、プロフェシーやチャネリングといったスピリチュアルな能力を持つ方だったのです。

私は知りたかったメソッドを学びことが出来るようになりました。 互いに不慣れな言葉で通訳を介しながらメソッドを教えていただくのは難しかったですが、それは私にとってとてもエキサイティングで、心の奥底から震えるような感動を覚える素晴らしい体験でした。

イニシエーション(伝授の儀式)を受けると初心者の私にも高次元ガイドという意識体とコンタクトをとり、その時に抱えていた問題を解決する事ができたのです。そしてプロフェシー能力で未来予知をすることも出来るようになりました。

そうすると、今まで行き詰っていたことがどんどん思い通りに展開し始め、解決しなかった問題もスムーズに解決できるようになっていきました。それと同時に私はあることに疑問を持つようになります。

ヒーリングでは癒されない?

レイキやチャネリング、プロフェシーといった能力をフルに使ってセッションを行うと、クライアントさんの状況は好転しました。望む結果に至るまでには時間がかかる場合もありますが、それでも何らかの形で結果を得ることが出来ていました。 ですが、ここでずっと気になっていた問題点が浮上してきます。

それが。。。 ヒーリングセッションを行っても、多くの人がまた同じ問題を起こしてしまうということです。例えば、同じ病気になってしまったり、同じような人間関係の問題を何度も起こしてしまうことなどです。

この問題点の根本にあるのは、ヒーリングによるアプローチが「対症療法」になってしまっている、という点です。 ある医者の方も行っていましたが、病気によっては症状が無くなり、一見治ったかのように見えても、実際には完全に治っておらずにほとんどの方が再発する、ということでした。

これは現代医学の限界であり、対症療法しかできないとその方もいっていました。 私自身、心の問題からうつ病になった経験があり、回復まで時間がかかり、また何かの拍子に同じ症状が出るのを体験していました。ですので、この時に強く「どうやったら同じ問題を2度としないように根本的な解決が出来るのか」ということを強く意識するようになりました。

この時期に進めていたスピリチュアルな学びと、高次元ガイドの導きがあり、私は鞍馬山で瞑想する時間を多くもつようになりました。時間さえあれば鞍馬山に行き、瞑想を繰り返す毎日。答えは自分自身で見つけ出してみせるという強い想いの元で解決の道を探りました。

ルミナの誕生

そんなある時、私は目をつぶって瞑想をしていたのにも関わらず、辺りが真っ白な光で包まれ、聞こえていた鳥たちのさえずりも聞こえない完全な静寂の中にいました。

さっきまでいたはずの鞍馬山ではなく、真っ白な光で満たされた空間に私はいたのです。 不思議な感じでした。そしてその時にすべての問題や疑問が私の頭の中で解決しているのを感じました。

そしてこれからどのようにヒーリングしたらいいのか、どうアプローチするのがよいのかがはっきりと分かったのです。

これがルミナの誕生です。

そして、ルミナではレイキとは違ったエネルギーとアプローチによって可能だとこの瞬間に理解していました。レイキではシンボルやマントラを使います。流派によってはその使い方もそれぞれで、難解な手順をふまなければいけないメソッドも目にしたことがあります。

ですがルミナではヒーリングする時にはシンボルもマントラも必要ありません。ただ癒しを必要とする人へ意識を意識を向ければ、ヒーリング出来るのです。難しい手順や儀式も必要なく、ただルミナでヒーリングをすることを意図するだけでいいのです。

私はすぐにこのルミナヒーリングを自分のヒーリングセッションに取り入れました。ルミナでヒーリングをすると、レイキヒーリングの時よりもスピーディに癒しが起こるのを体験しました。そして、こればかりはすぐには分かりませんでしたが、ルミナでヒーリングを行った場合、ほとんどの方がそれまでの問題から完全に開放されて、完全に癒されるというのを数か月、また数年という時間で確認する事ができました。

私はこのルミナヒーリングを仲間に伝えて徹底的に検証する事にしました。その結果が同じ様にルミナヒーリングが出来るようになり、その施術効果も確認がとれることになりました。

私は部屋の中で飛びあがって喜びました。ひとりの部屋の中で大声で喜びの声を上げて、ガッツポーズまで取ってしまうほどの喜びでした。 このルミナヒーリングをひとりでも多くの人に伝えたいという強い気持ちを持って伝授をさせていただくことにしました。この時の決意と熱い気持ちは、その時と変わることなく今も持ち続けています。

病に倒れた父

実は、私がルミナヒーリングの伝授をさせていただくようになったのと、時を同じくして、父が大病にかかったのです。癌でした。しかも医者はリンパにも転移していて治療は困難を極めると。覚悟をしておいてください、という言葉もありました。

実は父とは長い間確執があり、疎遠になっていました。ですが母から震える声で電話がかかってきて癌にかかったと分かり、いてもたってもいられずに私は病院に向かい、何年かぶりに父と再会しました。 すっかりやせ細って弱弱しくなった父を見ると、とめどなく涙があふれ出してきました。涙はほほを伝って流れおちていきました。

そこで、父に今までに募っていた想いを洗いざらい打ち明けると、あの頑固だった父も涙を流し、癌を克服しようと心をひとつにしました。 それからです。私は起きている時はいつでもフルタイムでルミナでヒーリングをしました。そしてルミナヒーリングをさらに進化させたルミナヒーリングLv2も使って24時間フルタイムでルミナヒーリングをしました。

もちろん仕事もあり、離れた場所で暮らしていたので、遠隔ヒーリングです。 そしてそれから、3か月後。。。 父は退院しました。癌を克服できたのです。医者は再発の可能性があると言っていましたが、それもなく今に至ります。今も父は元気で過ごしており、母とふたりで幸せに暮らしています。

もちろん、病院での治療の甲斐や父の生きようとする気持ちが大きかったと思います。それに、そこへずっと付き添っていた母の愛もあったでしょう。しかし困難な病状をルミナでヒーリングをしている時、長い時間をかけてですが、少しずつ病状がよくなってきているのを私は感じていました。

父は言いました。 「隆之のやっているルミナというもの、正直理解は出来ない。 だがそれが人の役に立つことで、人を幸せにするものだというのは分かった。 父からの願いだ。 私はもう十分に幸せだ。 だから、これからはルミナというものを、困っている人の役に立てるんだ。」

私は父と約束し、誓いました。天から授かったルミナで人々の役に立とう、幸せを広げようと。誰にでも習得できるルミナで、ひとつでも多くの笑顔を。私はその為にルミナの伝授をさせていただいています。 また、それが私の天命だと感じています。

自分史上最高のあなたへ

今、私の肉体的、精神的ポテンシャルは最高レベルです。病弱で華奢だったのが、まるでうそだったかの様にまったく年齢を感じさせない健康な体で毎日を心の底から楽しみながら生きています。

元気なだけでなく、借金まみれで仕事もなかったシングルパパだった私でも、人生を共に歩む素晴らしいパートナーに巡り合い、行きたかった海外や国内の旅行にもどんどん出かけて、豊かな毎日を満喫しています。子どもも父の私がびっくりするぐらいすくすくと育っています。

私はレイキ、ルミナ、チャネリング、プロフェシーなどスピリチュアルな学びを進めることで、人生が変わりました。それも生まれつき特別な能力が開いていたわけではない、この私がです。むしろ落ちこぼれと呼ばれる部類でした。

だからこそ、あなたが「なぜできないんだろう?」「どうやったらできるんだろう」という疑問や迷いに、確実に答えることが出来るのです。 あなたが、もし今の人生で光を見出すことが出来ていなかったり、人間的にも霊的にも進化して、溢れんばかりの愛と豊かさを心の底から楽しみたいと思うのでしたら、私があなたに力になって引き上げることが出来ます。 是非その時を心からお待ちしています。